COLUMN
No.25
インターネットで検索をかけていたら、とある設計事務所のホームページの中の、現場監理の様子を時系列で紹介しているページに行き当たった。何気なく見ていたら、「とんでもない」(と私は思う)ことが書いてあった。
その内容は、監理者がある建物の基礎の配筋検査を行い、その数日後にコンクリートを打設している最中に、監理者が配筋が間違っていることに気づき、急遽コンクリート打ちを中断して、配筋の手直しを施工者に指示したがどうしても完全には直せなかったので、やむを得ず、その基礎を解体して新たに基礎を作り直したとあった。その他にも、基礎解体後に施工会社の社長が監理者のところへ謝罪に来たので、もう少しその会社の様子をみよう、とか、幸いにもお施主さんへの迷惑がかからなかった、とか。
その書き方はまさに「第三者」である。
工事に対して、監理者は建築のプロとして、第三者「的」な見地から、お施主さんに代ってさまざまな助言なり、指示なりをする存在である。その監理者が事前に配筋検査をして確認しているはずなのに、実際には配筋が間違っていた。その事実からすれば、事前の、監理者による配筋検査がまったく意味のない検査であったことが伺える。配筋が間違っていたことは施工者側の紛れもないミスなのだが、事前に検査をしていた監理者の確認ミスは無かったのか。
その他の記述でも、もう少しその会社の様子を見ようではない。監理者も一緒になって、今後の工程において工事のミスがないように重点的に監理しよう、施工者との連絡や確認を今まで以上に行おう、ではないのか。お施主さんへ迷惑がかからなかったではないだろう。基礎の作り直しなんかしていて、迷惑がかからない訳がない。
設計者は第三者ではない。まさに当事者である。設計者の描いた図面をもとに、数千万円というお金が動き、延べ数百人という人間が動くのだ。その自覚と、自分が描いた設計図への責任と覚悟がない設計者は、退場願いたい。
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